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国定忠治くにさだちゅうじ
天保の大飢饉で困窮した村々を助けたと伝わる上州の博徒国定忠治。貧しい馬方から貸元となり、関所破りの罪で磔になるまでを描く。
連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統は三尺物(博打打ち(渡世人)の話。)
あらすじ
国定忠治の家は、田沼山城守の浪人であった長岡忠左衛門が上州佐位郡国定村に住みつき、帯刀をやめて百姓となったのに始まる。忠治はその三代目にあたる忠作の子で、4歳で実母を亡くし、継母おくまを迎えた。14歳のとき父忠作が中風で半身不随となると、忠治は名主武左衛門から馬を借りて馬方となり、一家の暮らしを支えた。
17歳のある冬の日、忠治は身なりを隠した旅人を乗せて高崎まで送り、親孝行を褒められて大金を恵まれる。その旅人は、飢饉で苦しむ人々を救うため日光の公儀の蔵から金を持ち出したという元役人の盗賊大天狗額太郎であった。忠治は名主への礼を厚くしすぎて逆にたしなめられ、継母おくまが博打打ちの為五郎と関わり父の世話を怠っていたことも知る。その帰り道、竹薮で竹槍に襲われ、父の形見の脇差で斬り返すと、相手は継母おくまであった。おくまは自分が悪いと言い残すが、その後の消息や動機は資料には描かれていない。
後年、忠治は子分を率いる貸元となり、島村の一家と鉄砲や長脇差を交えた大規模な出入りに及んで勝ちを収めた。困窮した娘とその老親を食い物にする者から金で救い出すなど、義理と人情を重んじる一面も見せている。十手に連なる者を敵に回したことから、身の安全のため子分たちと一時散り散りになり、子分の一人板割浅太郎は、亡くなった仲間たちの菩提を弔うため忠治に髻を切ってもらい、僧となって諸国を回った。
身体の自由を失った忠治は、看病を受けていた名主の家で捕えられた。子分の清水頑鉄と高山定八は、召し捕りに来た役人を相手に斬り死にした。忠治は江戸伝馬町の牢を経て、関所破りの罪により嘉永3年(1850年)12月、大戸の関所で磔に処された。享年42。見送りの人々に礼を述べ、詮議に対しては誰の名も明かさなかったという。刑場のそばには供養のための地蔵が建てられ、中風封じの信仰を集めたと伝わる。残った子分たちの多くも、翌年みずから名乗り出て獄門に処せられた。
本の章立て
42章『講談名作文庫』(講談社)の本文に出てくる見出しを、本の並びのまま挙げています。この巻の章は、話の中の場面を指しています。筋はここには書いていません。印の付いたものは、文字の読み取りに確信が持てなかった題です。
- 新入りの仁義に酒を買え
- 三百で威勢よく乗ってやる
- この寒さにおめえ単衣か
- 義に飢えた名刀の斬れ味
- 一生馬子じゃあ可哀相だ
- しつ、静かにしておくんなせえ
- 今におれが目に物見せてやる
- 乱暴はそっちが先口だ
- 伊一郎どん待って貰おう*
- やっ、こりゃあ小判だ
- 知らぬが仏、赤城の山籠り
- 人の娘を売り飛ばす悪代官
- これが親分の身上だなあ
- その百両の金はどうした
- 国定一家の代官所斬り込み
- 血の雨降らす屋上の捕り物
- 恩義なりやこそかけた謎
- 男にやつらい義理の二字
- じっとその死に顔を見詰めた
- へえ、拠なくほんとなんで
- 名騙り盗つ人国定忠治
- 気合い勝ち大戸の関所破り
- これが名代の鮫の味噌漬け
- 二百の草鞋銭たあなんだっ
- 横綱面てなあてめえのこった
- 首は胴へつけて置かねえぞ
- 二足のわらじで悪業放題
- ゃいつ、縛れ山形屋っ*
- おれがその妓を身請けしよう
- 猿橋から溪川へドプーン
- 石川五右衛門の子孫かい
- ありゃあみんな贋金だ
- 仙右衛門恩返しの離縁状
- につこり笑ってすぱりつ
- 女侠客小町のおまん
- 先手を打たれてぎやふん
- 暗い中にくつきり白い顔
- 忠治召し捕りで意趣晴らし
- 軍鶏籠破りに躍起の子分たち
- 夜明けを待っ碓氷峠
- われあまた悪事をやめねえな
- 中気突発、忠治の最期
この読み物に含まれる一席
1席それぞれ独立した演目として高座にかかります。本に「『国定忠治』の一席」と 書かれているものだけを並べています。
- 忠治山形屋雨宿りの辻堂で、娘を売った父親弥五右衛門の事情を耳にした侠客国定忠治が、変装して相手の元締めを訪ね、金と娘を取り戻して村へ帰す話。
成立と背景
本文では、忠治が捕らえられた後、大戸の関所を破った罪により嘉永3年(1850年)12月に磔に処せられたと伝える(処刑の日付は資料の文字起こしが乱れており、日にちまでは確定できない)。処刑地には加部安左衛門らの手で忠治地蔵と呼ばれる石地蔵が建てられ、中風封じの信仰を集めたという。子分の板割浅太郎らは翌年みずから名乗り出て獄門に処せられた。
ほかの芸能でも演じられます
この演目は浪曲でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。
- 浪曲「国定忠治」
上州の博徒・国定忠治が、飢饉に苦しむ領民に施しをして追われ、赤城山を下りるまでを読む続き物です。「赤城の山も今宵限り」の場で知られます。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『講談名作文庫(真田幸村・水戸黄門・大岡政談・柳生旅日記・赤穂義士銘々伝・太閤記・鼠小僧次郎吉・いれずみ奉行・弥次喜多道中記・寛永三馬術・清水次郎長・塚原卜伝・大久保彦左衛門・雷電為右衛門・左甚五郎・幡随院長兵衛・田宮坊太郎・国定忠治・一休和尚漫遊記・伊達騒動・天保六花撰・快傑自来也・由井正雪・荒木又右衛門)』講談社 編、講談社、1976年(電子版 2013〜2014年)
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

