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講談の演目

お富与三郎おとみよさぶろう

世話物連続物殺し騙り博打身分違い江戸歌舞伎侠客

別題: 切られ与三郎

鼈甲問屋の若旦那与三郎は、木更津でやくざの妻お富と恋仲になり折檻されるが、3年後に江戸で再会し、転落した人生を共に歩む。

連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統は世話物(町の人々の暮らしと事件を描く。白浪物・侠客物・三尺物などはこの中の分けかた。)

あらすじ

日本橋横山町の鼈甲問屋の養子である与三郎は、実子の弟与五郎に家督を譲ろうと遊興にふけって勘当となり、療養先の上総木更津へ預けられる。そこでやくざの親分赤間源左衛門の妻となっていた芸者上がりのお富と出会い、互いに惹かれ合う。源左衛門の留守中の密会が知られると、激怒した源左衛門は刀で与三郎の顔や手足を34か所も斬りつけ、お富は海に身を投げて逃れようとする。与三郎は殺されずに芋俵に詰められて質屋へ売られる形で命だけは助かり、姿は変わり果てたまま江戸の実家へ戻って、しばらくおとなしく暮らす。

3年後、両国の川開きに出かけた与三郎は、死んだはずのお富に似た女を見掛けて後を追い、玄冶店の一軒家まで来る。そこへごろつきの蝙蝠安と富八が現れ、傷のある与三郎の顔を使って女から金をゆすり取ろうと企み、若親分に仕立てて家に上がり込ませる。合図で顔を見せた瞬間、女はお富その人だとわかり、双方が驚いて名乗り合う。そこへお富の後ろ盾である井筒屋の番頭利兵衛が現れて2人を追い返し、お富の貞節を語ったうえで身を引くことを告げ、家をお富に譲って去っていく。

その後、与三郎は再び勘当されてお富と暮らし始める。生活に困った2人は蝙蝠安の勧めで家を賭場として貸すようになり、お富に言い寄る客の奥州屋から金を引き出す関係を続ける。ある夜、富八がお富の素性を告げ口して奥州屋との縁を壊したため、与三郎はこれを追って刺し、お富がとどめを刺して殺害する。これを知った蝙蝠安にゆすられた2人は元柳橋へ移り住むが、雨宿りに立ち寄った隠居の茣蓙松にも言い寄られたことから五十両を要求し、美人局の罪で捕らえられる。

裁きの結果、お富は入牢、与三郎は佐渡へ島流しとなる。佐渡の金山で過酷な労働を強いられた与三郎は、雨の夜に仲間と脱走して江戸へ向かい、その途上で源左衛門を殺し、品川にいるお富のもとへたどり着く。しかし、お富はすでに与三郎を疎ましく思うようになっており、与三郎を殺害する。お富もそのことが露見して斬首の刑に処せられたと語られる。

成立と背景

長唄四代目芳村伊三郎(1800年〜1847年)が若い頃に木更津で経験した実話が題材になったとされ、初代三笑亭可楽の門人だった菅良助(乾坤坊良斎)の作とされる。

のちに落語では初代古今亭志ん生、講談では一立斎文車が得意にし、三代目瀬川知皐の脚本で舞台化された。

芝居では嘉永6年(1853年)に江戸中村座で上演され、一番目の演目は不評だったが、二番目の「与話情浮名横櫛」が好評だったため、作品全体がこの外題で呼ばれるようになった。

歴代の市川團十郎が与三郎を演じるなど、豪華な配役で知られる人気作である。現在は「見染めの場」と、ここで紹介した「源氏店妾宅の場」が上演されることが多い。

昭和29年(1954年)には、この物語を題材にした歌謡曲「お富さん」がヒットした。

読み方の違い

同じ演目でも、演者によって細部が変わります。分かっている違いを並べています。

ほかの芸能でも演じられます

この演目は落語でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談 知っておきたい日本の古典芸能瀧口雅仁 編著丸善出版2019年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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