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講談の演目

赤穂義士銘々伝あこうぎしめいめいでん

赤穂義士伝連続物敵討ち忠義義理人情変装情け江戸赤穂

浅野内匠頭の殿中刃傷と改易をきっかけに、大石内蔵助ら40人あまりの家臣がそれぞれの事情を経て、吉良邸討ち入りに至るまでを描く。

連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統は赤穂義士伝(赤穂浪士の討ち入りにまつわる話。本伝・銘々伝・外伝に分かれる。)

赤穂義士伝』の一席(銘々伝)

あらすじ

元禄十四年三月、朝廷からの勅使を迎える儀式で、赤穂の浅野内匠頭は接待役を命じられた。指南役の吉良上野介は、進物の少なさが原因とされる不仲から、浅野へ度重なる意地悪と侮辱を重ね、衣服の指図を誤って伝え、精進料理にも後から難癖をつけた。同じ役を命じられた伊達左京亮は多額の進物を贈っていたため、扱いに差がついていた。勅答の当日、またも吉良に辱めを受けた浅野は、殿中松の廊下で刀を抜いて斬りつけた。この刃傷により浅野はその日のうちに切腹を命じられ、五万三千石の赤穂の家は改易となった。

薩摩の浪人宇都宮重兵衛は、道端に酔い伏していた大石内蔵助の刀と脇差を検分し、脇差までも錆びていたことに、内蔵助の魂まで鈍ったかと怒って足蹴にし、立ち去った。残された内蔵助は、これを短気者のふるまいと受け流している。堀部安兵衛は、堀部弥兵衛の娘との縁組を受け入れるにあたり、堀部の姓は名のらず中山の名のままで養子に入ることを望み、聞き入れられた。潮田又之丞は船頭に姿を変え、大川に船を出して大石内蔵助ら同志を集め、討ち入りの手はずを話し合わせた。

神崎与五郎は東下りの道中、酔った馬子に言いがかりをつけられ、大望を控えた身ゆえ刀を抜かず、望まれるままに詫び証文を書いて堪えた。杉野十平次は夜鷹蕎麦売りに身をやつして吉良邸の近くをうかがっていたが、槍術家俵星玄蕃にその正体を見抜かれかける。岡野金右衛門は、吉良邸の普請にかかわった大工の姪お艶に近づいて心を寄せさせ、吉良邸の絵図面を持ち出させた。そこには床下の抜け穴や落とし穴など、上杉家家老千阪兵部が仕組んだ守りの構造が描かれており、これにより討ち入りの計画は大きく進んだ。

大石内蔵助ら40人あまりは吉良邸に討ち入り、間十次郎と武林唯七が上野介を見つけて首級を挙げた。一党に戦死者はなく、負傷もかすり傷程度にとどまったという。一同は泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に首級を供えて焼香し、本懐を遂げたことを報告した。その後、四家の大名にお預けとなった一同は、翌年2月4日にそろって切腹を命じられた。

各席

2

手元の本に題と筋が載っている席だけを並べています。席の分けかたと題は演者によって変わります。

  1. 1. 浅野内匠頭殿中の刃傷勅使饗応役をめぐって吉良上野介から度重なる侮辱を受けた浅野内匠頭が、殿中松の廊下で刃傷に及ぶまでの経緯を描く。
  2. 2. 母と下郎の殉死に泣く武林唯七内匠頭切腹による赤穂家断絶の混乱のなか、乳兄弟の武林唯七が、そそっかしさゆえに主君の月代剃りで何度も失敗する場面が描かれる。

この読み物に入っている話

15

『講談名作文庫』(講談社)の本文に出てくる見出しを、本の並びのまま挙げています。この巻は、章がそのまま独立した話になっています。筋はここには書いていません。印の付いたものは、文字の読み取りに確信が持てなかった題です。

  1. 浅野内匠頭殿中の刃傷恨みは深し欲の遺恨
  2. 内匠頭の切腹と片岡源五右衛門
  3. 母と下郎の殉死に泣く武林唯七
  4. 忠孝の二途に迷う萱野三平
  5. 義士の統領大石内蔵助良雄
  6. 船頭に身をやつす潮田又之丞
  7. 堀部安兵衛高田馬場の仇討ち
  8. 堀部弥兵衛むこがね探しせっかちで気短
  9. 勝田新左衛門舅婿のえにし供先の狼藉
  10. 大高源吾、中村勘助東くだり
  11. 神崎与五郎かながきの詫び証文
  12. 夜鷹蕎麦売り杉野十平次
  13. 酒屋の手代、恋の岡野金右衛門
  14. 赤垣源蔵徳利の別れ酒の機嫌の千鳥足
  15. 義士討ち入りと本望成就

ほかの芸能でも演じられます

この演目は浪曲でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。

講談では、事件の本筋を読む「本伝」、四十七人それぞれの逸話を読む「銘々伝」、事件に関わった外部の人物を読む「外伝」に分かれる。浪曲では一話完結の銘々伝・外伝が読まれることが多い。『浪曲事典』によれば、浪曲の義士伝は明治の中ごろまであまり評判にならず、二代吉田奈良丸と桃中軒雲右衛門が得意にしてレコードで広まってからのものである。(講談事典・浪曲事典)

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談名作文庫(真田幸村・水戸黄門・大岡政談・柳生旅日記・赤穂義士銘々伝・太閤記・鼠小僧次郎吉・いれずみ奉行・弥次喜多道中記・寛永三馬術・清水次郎長・塚原卜伝・大久保彦左衛門・雷電為右衛門・左甚五郎・幡随院長兵衛・田宮坊太郎・国定忠治・一休和尚漫遊記・伊達騒動・天保六花撰・快傑自来也・由井正雪・荒木又右衛門)講談社 編講談社1976年(電子版 2013〜2014年)

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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