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講談の演目

横川勘平よこかわかんぺい

赤穂義士伝一席物忠義変装義理人情忠臣江戸

別題: 横川勘平の一番槍

養子に迎えられた浪士が、討ち入りに加わるために遊びを装って愛想を尽かされようとする一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は赤穂義士伝(赤穂浪士の討ち入りにまつわる話。本伝・銘々伝・外伝に分かれる。)

赤穂義士伝』の一席(銘々伝)

あらすじ

芝愛宕下に屋敷を持つ森大内記の留守居役・芹沢助右衛門には子がなく、甥の横川勘平を養子に迎えることにする。仇討ちに加わるつもりだった勘平が大石内蔵助に相談すると、酒にも女にも関心のない勘平に、道楽をして助右衛門から愛想を尽かされればよいと知恵をつける。

勘平は堀部安兵衛に吉原へ連れて行ってもらうが、店に上がろうとしない。堀部から、登楼して酒を飲んだと言えと教えられて助右衛門に話すが、辻褄の合わないことばかり口にしてしまう。実は助右衛門夫婦は勘平の思いを知っていて、それでも甥を失いたくない一心でいた。

討ち入りの前日、友人を見送りに行きたいという勘平の身なりを見て、叔母はいよいよ今夜だと気づく。そして、家を出れば仇討ちのことを世に訴えると告げる。勘平は今夜のことを話し、加担できないならこの家を相続するという。喜ぶ叔母の前で、酒を飲んで気を晴らしたいと言い、二人の目を盗んで吉良邸へ駆けつけ、討ち入りに加わる。

成立と背景

横川宗利は寛文7年(1667年)に浪人・横川祐悦の子として生まれ、通称は勘平で、のちに浅野長矩へ仕えたとされる。吉良邸の茶会が12月14日にあると知って大石へ知らせ、討ち入りの日が決まったといわれている。

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講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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