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谷風の情け相撲たにかぜのなさけずもう
横綱谷風梶之助が、病の両親の看病で負け続ける十両力士佐野山のもとを密かに訪ねて金を与え、自らの引退を盾に対戦を組ませる一番。
一席物(一話で完結する話)。系統は力士伝(相撲取りの話。)
『寛政力士伝』の一席。
あらすじ
寛政期の四代目横綱谷風梶之助は、力量に優れるだけでなく人柄も温厚で情け深く、困っている力士に金を貸したり、病気の者を見舞ったりしていた。同じ頃、十両力士の佐野山権平は、目を患う母と寝たきりの父の看病に追われて稽古ができず、初日から負けが続いて生活も困窮していた。
これを聞いた谷風は弟子を連れて佐野山の長屋を訪ね、両親の前で化粧まわしを着けて四股を踏み、刀を抜いて振ってみせたのち、佐野山の親孝行に免じてお天道様からの褒美だと言って金を渡す。そのうえで谷風は佐野山との取組を望み、自らの引退をちらつかせて年寄衆に取組を認めさせ、10日間の興行のうち6日目に対戦することが決まる。
横綱と十両の異例の対戦が発表されると、江戸の町では憶測が広がり、谷風の化粧まわしと褌が盗まれ、その犯人が佐野山だったための遺恨相撲だという噂も流れたが、作り話だろうと疑う者もいた。佐野山を案じる源五郎という男は、前夜に佐野山を呼び、軍配が返ったら無理に押さず、その場で転がってしまえばよいと入れ知恵をする。
取組の当日、佐野山は教えられた通りひっくり返ろうとするが、驚いた谷風はまわしをつかんで支え、土俵際で佐野山の耳元に「押せ」と促す。佐野山が押すと見物人は沸き立つが、佐野山は谷風に勝つことをためらって動きを止めてしまい、谷風は自分の体を土俵の外側へ運んで負けを引き受けた。後日、谷風は佐野山の親孝行の心が自分に勝ったのだと周囲に語ったという。佐野山はこの場所を最後に引退して故郷で暮らしたが、谷風への恩は忘れず、後年谷風が没した際には葬儀を取り仕切ったと伝えられる。
成立と背景
谷風梶之助・雷電為右衛門・小野川喜三郎の3名を中心に構成される『寛政力士伝』の一席である。
谷風梶之助(寛延3年〈1750年〉〜寛政7年〈1795年〉)は仙台藩出身の実在の力士で、63連勝の記録を持ち、五代横綱小野川喜三郎と人気を二分した。
佐野山との情け相撲そのものは史実ではなくフィクションとされるが、横綱としての谷風の人格を伝える逸話として伝わっている。落語では「佐野山」の題で演じられる。
本によって違うところ
講談は演者や本によって細部が変わります。読んだ本の記述が食い違ったところは、どちらかに決めずに並べています。
- 師匠松鯉の演出は人情を主軸とする一方、松之丞は速さと笑いを重視し、くすぐりを大きく変えている。松之丞は本来三十五分ある話を、寄席用に十分程度まで短くしている。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『講談 知っておきたい日本の古典芸能』瀧口雅仁 編著、丸善出版、2019年
- 『講談入門』神田松之丞/編・文 長井好弘/写真 橘蓮二、河出書房新社、2018年
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

