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講談の演目

徂徠豆腐そらいどうふ

世話物一席物出世恩返し情け火事職人江戸実説

別題: 出世豆腐

貧しい暮らしの中で学問を続ける荻生徂徠に、豆腐屋の七兵衛が代金を求めず施しを続け、のちに徂徠の出世を機に大きな形で報われる一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は世話物(町の人々の暮らしと事件を描く。白浪物・侠客物・三尺物などはこの中の分けかた。)

あらすじ

増上寺に近い芝の裏長屋で暮らす荻生徂徠は、日々の暮らしより学問を優先し、家財を売り払って本ばかりが残るほどの貧しさになっていた。元禄15年の冬、3日も何も口にしていなかった徂徠は、長屋を売り歩く豆腐売りの七兵衛から豆腐を求めるが、代金を持ち合わせていないことを詫びる。七兵衛は代金をあとで構わないと答え、その後も毎日のように豆腐を届けるようになった。

ある日、七兵衛は徂徠の住まいに本以外何もないことに気づき、学者だと知る。それからは代金の催促をせず、豆腐だけでなく、豆腐の絞り粕を使った「おから」も届けるようになった。七兵衛が代金の見通しを尋ねると、徂徠は出世してから支払うと答え、それがいつになるか分からないとも告げるが、七兵衛はそれでも構わないという態度を崩さない。

七兵衛はその後高熱で7日間寝込み、床上げをして徂徠の長屋を訪ねると、徂徠は2、3日前から姿を消していた。同じ夜、隣家からの火事で七兵衛の店も焼け、夫婦は身一つで焼け出される。数日後、「さるお方」に頼まれたという大工の棟梁が現れ、10両を届けて焼け跡に店を建てるよう告げて去った。翌年、その10両を使い切った頃、棟梁が再び訪れ、店の普請が進んだことを知らせる。

後日、紋付袴の武家に姿を変えた徂徠が七兵衛の前に現れる。徂徠は柳沢家に見出されて将軍家の学問所に仕える身分となり、赤穂浪士の一件の処理にも関わったことを告げ、以前届けられた10両とこの日持参した10両をあわせた20両を、当時の豆腐の代金として受け取ってほしいと申し出た。焼け跡に建てられた店は、おからの礼として別に用意されたものだった。この後、七兵衛は徂徠の口添えで増上寺に出入りするようになり、店は「徂徠豆腐」と呼ばれて評判になる。

成立と背景

「出世豆腐」とも呼ばれる講釈のネタで、主人公の荻生徂徠は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入った事件の後始末をめぐる幕府の裁定に関わり、その判断を左右する立場にあった人物とされる。徂徠がこの立場にあったのは元禄15年12月のことだという。

徂徠は出世した後、茅場町のお薬師様と呼ばれた智泉院の境内に移り住み、私塾を開いた。同じ境内の隣家には俳人の宝井其角が暮らしており、本題の冒頭で詠まれる句はこのことを指す。

現在、日本橋茅場町一丁目には「宝井其角住居跡」の碑が建てられている。

智泉院は落語「心眼」の舞台としても登場する場所だという。

ほかの芸能でも演じられます

この演目は落語でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談 知っておきたい日本の古典芸能瀧口雅仁 編著丸善出版2019年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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