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講談の演目

玉川上水の由来たまがわじょうすいのゆらい

御記録物一席物情け義理人情百姓江戸実説

別題: 松の市

上水工事の金が尽きた庄右衛門を、按摩の松の市が長年ためた三百両で救う一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は御記録物(大名家に伝わる記録や御家騒動。金襖物ともいう。)

あらすじ

承応3年(1654年)11月の末、江戸の大通りで一人の按摩が呼び止められる。療治を頼んだのは玉川村の百姓・庄右衛門で、弟の清右衛門と上水工事の最中だった。幕府から下げ金を受けながら人夫に給金を払っていないという噂を、按摩も耳にしている。

庄右衛門は事情を語る。江戸の人々のために家康が神田上水を作ったが、それだけでは足りない。そこで多摩川から水を引く工事を始めたものの、見込み違いが重なって下げ金は使い果たし、これまで私財も投じてきた。それでも足りず、明日までに給金を払わなければただではおかないと人夫が騒いでいるので、疲れて按摩を呼んだのだという。

すると按摩は松の市と名のり、自分の身の上を語る。座頭になりたくて三十年以上こつこつと金を貯め、来年ようやく座頭になれるという。それを聞いた庄右衛門は、療治代に祝いを添えて一両を渡した。

翌日、幡ヶ谷まで進んだ工事の現場へ行くと、人夫の一人がある者から三百両を受け取ったという。金のそばには按摩の竹笛が添えてあった。兄弟は松の市を探したが行方は分からない。工事は四谷大木戸まで無事に届き、玉川上水の水は江戸の町を潤した。兄弟は玉川の姓を賜って水奉行となったが、松の市の行方はついに知れなかった。

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講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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