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講談の演目

宇喜多秀家配所の月うきたひでいえはいしょのつき

御記録物一席物情け義理人情大名実説

別題: 配所の月、八丈島物語、宇喜多秀家

八丈島に流された宇喜多秀家が、将軍へ運ぶ祝い酒を積んだ船の使者と出会い、月の下で一樽を傾ける一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は御記録物(大名家に伝わる記録や御家騒動。金襖物ともいう。)

あらすじ

慶長8年(1603年)、関ヶ原の合戦の戦勝三周年の祝いに、安芸備後六十四万石の福島正則が将軍へ酒百樽を贈ることにする。運ぶ役を命じられた大鐘金右衛門は、途中で風向きの変わるのを待つ間に八丈島へ立ち寄る。そこへぼろをまとった男が現れ、金右衛門が福島正則の家来だと告げると、男は懐かしそうな顔をして、備前岡山城主・宇喜多秀家だと名のる。秀家は関ヶ原で西軍についたため八丈島へ流されていた。

新将軍秀忠へ祝い酒を届ける途中だと金右衛門が話すと、秀家はその酒を飲みたいという。贈り物ゆえ手はつけられないが、金右衛門は百樽のうちの一樽を差し出す。秀家は名月の下で都の月見を思い出し、今の身の上に涙しながら盃を傾ける。礼にと自分で捕らえた魚を差し出すと、金右衛門はうやうやしく受け取って船を広島へ戻す。

八丈島での出来事を聞いた正則は驚き、ともに秀吉の恩を受けた身であるだけに申し訳なく思い、家康に手紙を送る。家康は罪を赦すことはできないとしながらも、秀家が島で安らかに暮らせるよう五百石の所領を与え、八丈島に屋敷を普請させて家族との再会を許す。秀家は、罪人があれば八丈の地で改心させて江戸へ戻すと約束し、八十四歳でこの世を去る。

成立と背景

五代目・六代目の宝井馬琴が得意にしたことから、宝井派の十八番になっている。宝井派は『配所の月』、一龍斎派は『八丈島物語』の演題を使う。宝井琴桜に、宇喜多秀家と豪姫の二人に光を当てた『新八丈島物語』という読み物がある。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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