このページは公開前の確認用です。URLを知っている人だけが見られる状態にしてあります。 サイト内のメニュー・サイトマップには出ておらず、検索にも登録されません。 内容を確認したうえで公開に切り替えます。

講談の演目

大田道灌おおたどうかん

御記録物一席物修行殺し大名軍師江戸実説

山吹の花の意味が分からず学問を恥じた太田道灌が、歌を学んで名高い歌詠みとなり、やがて暗殺されるまでを集めた一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は御記録物(大名家に伝わる記録や御家騒動。金襖物ともいう。)

あらすじ

夏のある日、鷹狩りの最中に雨に降られた太田道灌が、一軒のあばら家で蓑を借りようとすると、少女が山吹の花を一枝差し出す。意味が分からない道灌は花をたたきつけて江戸城へ帰る。家来に話すと、側近の一人が『後拾遺和歌集』にある兼明親王の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」を挙げ、「実の一つだになき」と「蓑一つだになき」を掛けたのではないかと説く。道灌は学問のなさを恥じて勉学に励み、のちには名高い歌詠みと称えられるようになる。

のちに御所へ参上した折、後土御門帝から武蔵野の広さ、隅田の都鳥、江戸城からの景色について次々に問われ、道灌はそのつど歌で答える。帝も返歌をした。

道灌の活躍で扇谷上杉家は栄えるが、対立する山内上杉家は面白くない。山内上杉家は扇谷上杉家へ密使を出し、道灌に家を乗っ取る意図があると吹き込む。定正は暗殺を決め、文明18年(1486年)7月26日、駿州の館に道灌を呼び、入浴中に槍で討つ。

成立と背景

室町時代の武将・太田道灌(1432年〜1486年)の和歌をめぐる逸話を集めた話。山吹の一件は落語でも知られる。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

← 講談の演目一覧へ