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講談の演目

左甚五郎ひだりじんごろう

芸道物連続物職人修行細工江戸上方伝説

名工左甚五郎の生涯を描く。飛騨の工匠に見いだされた少年期から京・大坂・江戸での修業を経て、日光の普請で右腕を失うまでの彫り物の逸話を伝える。

連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統は芸道物(役者や芸人の話。役者伝ともいう。)

あらすじ

左甚五郎は、足利十三代将軍義輝に仕えたのち浪人した伊丹正利と妻綾江との間に、播州明石で生まれた。7歳のとき父が病で没し、母は兄を頼って飛騨高山へ移るが、その兄もすでに疫病で亡くなっており、母は賃仕事をしながら子を育てた。12歳のとき、雪の中で自分の顔を写した木彫りをしているところを、飛騨の工匠と呼ばれた三代目工匠墨繩に見いだされ、弟子入りする。17歳のとき元服の儀を済ませ、甚五郎という名を与えられた。

21歳のとき、師匠墨繩から京・大坂・江戸で修業するよう申し渡され、形見ののみ2丁を渡されて旅立った。各地を渡り歩くが酒ばかり飲んで棟梁に恵まれず、伏見の藤の森に住み着く。あるとき竹で水仙を彫り、水を吸い上げるように見えるその作を禁裏へ献上したところ帝に褒められ、左官という役職名を与えられたと伝わる。評判を聞いた江戸の呉服商越後屋の主人得右衛門からは、亡き運慶が彫った恵比寿像と対にする大黒像の注文を受け、200両で引き受けている。

江戸へ出た甚五郎は、棟梁政五郎のもとで働くうち、火伏せの効があるという雲龍の継ぎ手を彫って腕を認められた。ある武家の依頼で鷹の彫り物も仕上げている。また中津川では甚助と名乗って滞在中、自分と同じ甚五郎の名を語る彫り物師と鯉の彫り比べをして200両を得た。上野東叡山の鐘楼では、松平伊豆守のもとで4本柱に龍を彫る仕事に加わり、近くで見ると粗いが遠目には生きているように見えるその龍は将軍にも称賛され、不忍池まで夜ごと水を飲みに現れるという言い伝えが生まれたと伝わる。

甚五郎はのちに吉原の遊女七越太夫と出会う。待たされている間に床の間の絵を見て床板へ伊勢海老を彫ったことがきっかけで、この太夫はのちに甚五郎の妻お文となった。大久保彦左衛門の依頼で、日光の陽明門普請が遅れていた棟梁栗原遠江の助勢に赴くが、この一件で右腕を失う。それでも左手で彫刻を続け、同じく片腕を失った遠江と義兄弟の杯を交わし、二人で上野の霊廟の雌雄の龍を彫り上げた。晩年は師匠墨繩が遺した金閣寺欄間の彫刻を仕上げたのち京都に住み、妻子とともに暮らし、68歳で没したという。

本の章立て

45

『講談名作文庫』(講談社)の本文に出てくる見出しを、本の並びのまま挙げています。この巻の章は、話の中の場面を指しています。筋はここには書いていません。印の付いたものは、文字の読み取りに確信が持てなかった題です。

  1. 好きこそ物の上手なれ
  2. 師匠の形見、一丁ののみ
  3. こいつよっぽど変人だわい
  4. 勘定は藪で払うよ
  5. 竹べらの水仙が五十両たあ驚いた
  6. 貴様はホシャマのポン州*
  7. のみ穴の中に千匹猿
  8. にこっと笑うお化け大里*
  9. 守らせ給え一つ神たち
  10. 負けて百両と澄ました顔
  11. 案に相違の不細工な鷹
  12. 彫り物の鷹が羽ばたくとは
  13. 将軍家からおほめのお言葉
  14. 変わり者の道楽、江戸っ子の気前
  15. 契りの証に、魂こめた懐中鏡
  16. 思慕の思いを刻む人形
  17. 一念こってとどまる魂魄
  18. 神のお告げの夢枕
  19. えつ、龍が水飲みに出た
  20. 臨終の母の切なる願い
  21. 受取を出す盗つ人なぞはねえぞ
  22. 気違いでなけりゃあ馬鹿か阿呆だ
  23. 目のないやつら、目のない鯉
  24. 仮面をはがれた偽甚五郎
  25. 思わぬことから牢住まい
  26. 手すさびのかにが泡を吹く
  27. 罪人、にわかに客分扱い
  28. ははあ、横目使いに半金か
  29. 名前じゃあねえ、腕が彫るんだ
  30. 真に迫った眠り猫
  31. 哀れ小僧の身の上ばなし
  32. の句もつけず涙の袖*
  33. もつれる遺恨、知恩院の大工事
  34. 迷夢は覚めて悪人悔悟
  35. 頭からぼっぽと湯気を玄鉄和尚*
  36. 見忘れた女房の顔
  37. 命はもらった、覚悟しろっ
  38. 無瑕の瑕に魔よけの傘
  39. 退っ引きさせぬご下命
  40. 師匠を思う弟子の真情
  41. 仕事の恨み、棟梁の意地
  42. 夫を励ます妻子の自刃
  43. 遺恨と義理とに失う右腕
  44. いっさいを水に流して義兄弟
  45. さえわたる左腕の妙技

成立と背景

左という呼び名の由来について、本文冒頭では二つの説を伝える。一つは飛騨の工匠にちなむ呼び名がなまったとする説、もう一つは晩年に右腕を失って左手を使うようになったためとする説である。物語後半では日光の普請に伴って右腕を失う場面が描かれるが、本文はこの二説を明確には結びつけていない。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談名作文庫(真田幸村・水戸黄門・大岡政談・柳生旅日記・赤穂義士銘々伝・太閤記・鼠小僧次郎吉・いれずみ奉行・弥次喜多道中記・寛永三馬術・清水次郎長・塚原卜伝・大久保彦左衛門・雷電為右衛門・左甚五郎・幡随院長兵衛・田宮坊太郎・国定忠治・一休和尚漫遊記・伊達騒動・天保六花撰・快傑自来也・由井正雪・荒木又右衛門)講談社 編講談社1976年(電子版 2013〜2014年)

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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