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講談の演目

依田孫四郎下郎の忠節よだまごしろうげろうのちゅうせつ

御記録物一席物忠義情け合戦忠臣駿河

城中へ女を連れ込んで処刑されるはずの家来を、下郎の願いを受けた鬼作左が逃がす一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は御記録物(大名家に伝わる記録や御家騒動。金襖物ともいう。)

あらすじ

徳川家康の家来である依田孫四郎は、豪傑だが酒と女にだらしなく、女人禁制の城中へ女を連れ込んだことから処刑されることになる。そこへ孫四郎の下郎の又七が、鬼作左と呼ばれた本多作左衛門のもとへ助命を願い出る。

作左衛門は孫四郎の身を預かり、又七とともに逃がしたうえで、家康に切腹して詫びると申し出る。家康の気に入りであったことから赦された。孫四郎と又七は流浪の身となり、戦で功を挙げる機会をうかがった。

小牧山の戦いで、孫四郎は次々に敵の首を取る働きを見せる。孫四郎が討ち死にしたと聞いた家康はその罪を許し、生きていたなら千石の加増を申し付けたのに、と口にする。すると孫四郎の死骸が家康の前へ運ばれ、作左衛門が呪文を唱えると孫四郎は息を吹き返す。家康は約束を守り、孫四郎も長く家康に仕えたという。

成立と背景

話に出てくる本多重次(1529年〜1596年)は通称を作左衛門といい、剛直で怒りっぽい性格から鬼作左とあだ名された武将である。徳川家康に仕え、天野康景・高力清長と並ぶ三河三奉行の一人として、主に行政の面で力を発揮した。長篠の戦いの陣中から妻へ書いた「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」は、日本一短い手紙として知られる。

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講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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