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講談の演目

富森助右衛門とみのもりすけえもん

赤穂義士伝一席物変装俳諧忠義忠臣商人江戸

小間物の行商で吉良邸に出入りするようになった浪士が、女中に化けていた味方から秘密の書を受け取る一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は赤穂義士伝(赤穂浪士の討ち入りにまつわる話。本伝・銘々伝・外伝に分かれる。)

赤穂義士伝』の一席(銘々伝)

あらすじ

富森助右衛門は子どものころから浅野内匠頭に仕え、俳諧にも通じて水間浩徳に師事し、春帆の俳号を持っていた。吉良邸の様子を探ることになると、本所相生町に小間物屋を出し、主人には早水藤左衛門を据えて、自分はその奉公人になる。荷を背負って両国界隈を歩くうち、品がよく値も安いことから吉良邸から声がかかるようになる。

屋敷に出入りを許されると、綾という女中を見て驚く。浅野家に仕えていた山岡角兵衛の妻お久で、夫の死後、吉良邸の様子を探るため女中として入り込んでいた。二人は素知らぬ顔を通すが、助右衛門はあるときお久から、吉良家の秘密を記した書を受け取る。また吉良家の家来・和久半太夫に気に入られ、来春に主人が遠国へ旅立つという知らせを得る。これを大石内蔵助に伝えて、討ち入りの日は12月14日と決まった。

家に戻った助右衛門が、母のたえ、妻のおはや、息子の長三郎に、遠国へ出かけてしばらく戻れないと伝えると、たえは別れの挨拶と察して本当のことを問う。討ち入りの話を聞いた母は白無垢の着物を差し出し、これを着て立派に働くようにと告げる。

本懐を遂げた助右衛門は細川家に預けられる。切腹の日は姉の忌日にあたり、「先立ちし人もありけり今日の日を終に旅路の思い出にして」という歌を残して旅立った。母のたえは半年後に亡くなり、息子の長三郎は十五歳になると、父の介錯をした氏家平九郎へ感謝を伝える書を送る。それを知った細川公は感心し、長三郎を小姓として召し抱える。

成立と背景

富森助右衛門こと富森正因は、寛文10年(1670年)に赤穂藩の御留守居役・富森助太夫の子として生まれた。討ち入りでは表門隊に属し、話にあるとおり母から贈られた女小袖を肌につけて戦ったとされる。

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講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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