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名人小団次めいじんこだんじ
別題: 出世の楽屋草履、紅緒の草履
舞台に出られず座頭に蹴り倒された若い役者が、その紅緒の草履を胸に修業を積む一席。
一席物(一話で完結する話)。系統は芸道物(役者や芸人の話。役者伝ともいう。)
あらすじ
九世市川團十郎の一門にいた市川小團次は、楽屋番の倅で名門の出ではなかった。よい役者になろうと大坂へ修業に行き、名優として名高い嵐璃鶴の一座に迎えられる。
天保8年(1837年)の師走興行は『仮名手本忠臣蔵』の通し狂言。五段目の山崎街道で、座頭の璃鶴が横川勘平、その相手の千崎弥五郎を、当時米十郎と名のっていた小團次が務めることになった。ところが肝心の場面で米十郎が舞台に現れず、璃鶴は幕を引かせる。腹を下して用を足していたのだった。
恥をかかせたと怒った璃鶴は草履を履いた足で蹴り倒し、米十郎は梯子段から転げ落ちて額に怪我を負う。逆上して殴りかかろうとする米十郎を嵐三津五郎が引き留め、芸の上で仕返しをしろと諭す。米十郎は璃鶴の紅緒の草履を懐に入れ、江戸へ戻って團十郎門下で修業を積む。
十数年後、嵐璃鶴の江戸初上がりで浅草猿若町の『小幡小平次』に対し、名題に昇進した米十郎改め市川小團次の一座が中村座で『鍋島猫騒動』を出す。はじめは双方大入りだったが、日が経つと璃鶴一座の客足が落ちる。小團次の手紙を受けて楽屋を訪れた璃鶴に、小團次は床の間の紅緒の草履を見せ、あのときの悔しさがあったからここまで来られたと話す。二人は和解し、小團次は世話物の名優として名を残す。
成立と背景
この話の市川小團次は四代目(1812年〜1866年)で、幕末に活躍した実在の俳優である。二代目神田山陽が得意にしていた。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『講談事典』瀧口雅仁、丸善出版、2023年
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

