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講談の演目

俵星玄蕃たわらぼしげんば

赤穂義士伝一席物変装義理人情剣豪浪人江戸

別題: 杉野十平次、杉野十平次と俵星玄蕃

夜鷹蕎麦屋に化けた浪士の正体を見抜いた槍の使い手が、討ち入りの夜に両国橋で助勢する一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は赤穂義士伝(赤穂浪士の討ち入りにまつわる話。本伝・銘々伝・外伝に分かれる。)

赤穂義士伝』の一席(外伝)

あらすじ

宝蔵院流の槍の使い手である杉野十平次は、夜鷹蕎麦屋に身を変えて吉良邸を見張っていた。ある夜、横網町の旗本屋敷から声がかかり、俵星玄蕃という槍の師から酒をふるまわれるが、玄蕃は蕎麦屋が侍であることを見抜く。

ある日、十平次は玄蕃の道場に入ることを許され、俵突きを見る。土を詰めた米俵を二十俵ほど積み上げ、槍で刺しては放り投げ、また積み直す。それだけの腕を持ちながら玄蕃は酒ばかり飲んで稽古をせず、弟子は去っていった。

しばらくして訪ねると、玄蕃は上杉家から吉良家の付け人になるよう頼まれたと話す。後日、その話はなくなり加賀家に仕官することになったという。

元禄15年(1702年)12月14日の夜、陣太鼓の音で目を覚ました玄蕃は、助太刀しようと槍を抱えて吉良邸へ向かうが、十平次に会って丁重に断られる。そこで両国橋へ駆けつけ、槍を突いて赤穂浪士の邪魔立てを許さぬと助勢した。後日、大石内蔵助と対面した玄蕃は、自分が吉良側につかぬよう動いたのだと話す。それを聞いた加賀の殿は、義士の言葉を嘘にしてはならぬとして、玄蕃を召し抱える。

成立と背景

浪曲師であり演歌歌手でもあった三波春夫が昭和39年(1964年)に発表した『長編歌謡浪曲 元禄名槍譜 俵星玄蕃』(作詞・北村桃児、作曲・長津義司)で知られる。北村桃児は三波春夫のペンネームである。

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講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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