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宇都宮重兵衛うつのみやじゅうべえ
別題: 村上喜剣
大石内蔵助を敬っていた薩摩の武士が、錆びた刀を見て失望し、酔い伏す内蔵助を足蹴にする一席。
一席物(一話で完結する話)。系統は赤穂義士伝(赤穂浪士の討ち入りにまつわる話。本伝・銘々伝・外伝に分かれる。)
『赤穂義士伝』の一席(外伝)。
あらすじ
松平薩摩守の家臣・宇都宮重兵衛は大石内蔵助に心酔していた。世間が内蔵助の言動を笑うなか、自分はその本心を見抜いており、あれほどの人物はいないと誉める。その評判は内蔵助の耳にも届くが、内蔵助は仇討ちの意思などないと欺き通さねばならないと考えていた。
ある日、昼から酒を飲んで歩いていた内蔵助は、馬を連れた馬子と行き合って田んぼへ足を踏み外す。抜け出したものの、そこへ寝転んで眠ってしまう。通りかかった重兵衛が声をかけても目を覚まさない。
重兵衛は内蔵助の差している大小に目をやり、そばの中間に、武士にとって刀は主君、脇差は己であり、刀は錆びても忠義の心が変わらないことを示すために腰にあり、脇差は輝いているはずだと説く。ところが刀を抜くと真っ赤に錆び、脇差も錆びていた。激怒した重兵衛は内蔵助を足蹴にし、寝ている者を斬るのは死人を斬るのと同じだと、顔に唾を吐きかけて去る。人がいないのを確かめた内蔵助は起き上がり、重兵衛に頭を下げ、これをだませたなら大丈夫だと一人で笑みを見せる。
成立と背景
同じ筋立ての話に「村上喜剣」がある。薩摩の剣客・村上喜剣が、京都の一力茶屋で放蕩を尽くす大石内蔵助に唾を吐きかけ、のちに吉良を討ったと知って自分の行いを恥じ、泉岳寺で切腹するという展開である。泉岳寺には「刃道喜剣信士」の戒名を彫った墓があるものの、それは寺坂吉右衛門や萱野三平のものとされ、村上喜剣はこの戒名から作られた人物だといわれる。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『講談事典』瀧口雅仁、丸善出版、2023年
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

