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太閤記たいこうき
尾張の貧しい農家に生まれた日吉丸が、蜂須賀小六との出会いや今川家・織田家への奉公を経て、木下藤吉郎から秀吉の名を賜り洲股城主となるまでを描く。
連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統は軍談(合戦を読む。講談のもとになった種類。)
あらすじ
日吉丸は尾張中村の貧しい農家弥助の子として天文五年に生まれた。異相で腕白なため奉公先を何度も追い出され、十三歳で家を出た。三河矢矧橋で野武士の頭蜂須賀小六正勝と出会い、その配下となって小六の刀を盗み出す機知を示した。
その後、日吉丸は今川義元の家臣松下嘉平次之綱に若党として仕え、元服して木下藤吉郎高吉と名乗った。富士川をはさんだ北条方との対陣で、小荷駄方の身でありながら陣を抜け出し、北条方の大将伊東日向守祐国を討ち取る手柄を立てたが、小荷駄方の身での戦功は軍令に背くとして賞されず、松下家を去った。
藤吉郎は織田信長に仕え、台所方の倹約や普請の差配で認められていく。合戦では信長の下知を伝える役に就いて古参の家臣の反感を買うが、その企みを見抜いて信長に告げ、岩倉山攻めで功を立てる。城の破損個所の修復は割り普請の方式をとり、3日で仕上げた。
美濃攻めでは、佐久間信盛と柴田勝家が相次いで洲股城の築城に失敗する。あとを受けた藤吉郎は、500人と7日の期限で築城を果たした。あらかじめ蜂須賀彦右衛門らに下準備を進めさせ、伏兵を置いて美濃勢の妨害を退けたことによる。信長はこの功で藤吉郎を洲股城主とし、秀吉の名を与えた。
本の章立て
17章『講談名作文庫』(講談社)の本文に出てくる見出しを、本の並びのまま挙げています。この巻の章は、話の中の場面を指しています。筋はここには書いていません。印の付いたものは、文字の読み取りに確信が持てなかった題です。
- 三十八回クビになった日吉丸
- 蜂須賀小六も舌を巻く
- 木下藤吉郎高吉を名乗る
- 初陣に敵の大将の首を斬る
- 織田信長に召し抱えらる
- 信長公の御感いよいよ深し
- 勢州佐屋川合戦の明暗一筋道
- 奇怪極まる立て札のなぞを解く
- 藤吉郎、三日間で普請を完成
- 駆け引き比べ、長短槍試合
- 主水の奸計、藤吉郎の情け
- 一石三鳥の計略、図に当たる
- 藤吉郎、平手監物と大激論
- 物騒極まる加勢の面々
- 討ち取ったる首級二千五百
- 十面埋伏、むしろ旗・たいまつの陣
- 秀吉を名乗り、洲股城主となる
この読み物に含まれる一席
1席それぞれ独立した演目として高座にかかります。本に「『太閤記』の一席」と 書かれているものだけを並べています。
- 日吉丸の誕生と矢矧橋農民の子として生まれた日吉丸が家々を転々とした末に家を出て、矢矧橋で蜂須賀小六と出会い、後に松下嘉平次之綱に仕えて木下藤吉郎と名乗るまでの前半生を描く。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『講談名作文庫(真田幸村・水戸黄門・大岡政談・柳生旅日記・赤穂義士銘々伝・太閤記・鼠小僧次郎吉・いれずみ奉行・弥次喜多道中記・寛永三馬術・清水次郎長・塚原卜伝・大久保彦左衛門・雷電為右衛門・左甚五郎・幡随院長兵衛・田宮坊太郎・国定忠治・一休和尚漫遊記・伊達騒動・天保六花撰・快傑自来也・由井正雪・荒木又右衛門)』講談社 編、講談社、1976年(電子版 2013〜2014年)
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

