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講談の演目

日吉丸の誕生と矢矧橋ひよしまるのたんじょうとやはぎばし

軍談一席物出世盗み百姓泥棒駿河伝説身分違い

農民の子として生まれた日吉丸が家々を転々とした末に家を出て、矢矧橋で蜂須賀小六と出会い、後に松下嘉平次之綱に仕えて木下藤吉郎と名乗るまでの前半生を描く。

一席物(一話で完結する話)。系統は軍談(合戦を読む。講談のもとになった種類。)

太閤記』の一席

あらすじ

尾張国中村の農民弥助と妻お千代の間に生まれた男児は、生まれつき猿に似た顔立ちだったことから父を落胆させるが、檀那寺の和尚は異相を将来の出世の相と捉え、七夜に日吉丸と名づけた。日吉丸は幼くして近くの寺へ徒弟に出されたが乱暴が過ぎて寺を追われ、その後も奉公先を転々とし、12歳までに38軒を渡り歩いたという。

13歳で家を出た日吉丸は三河国の矢矧橋にたどり着き、宿もなく橋の上で夜を明かしていたところ、野武士の頭蜂須賀小六正勝とその父彦右衛門正利の一行と出会う。小六は日吉丸の物怖じしない態度を気に入り、家来となるよう誘う。日吉丸は手始めとして豪家への押し入りに加わり、塀を越えて中に入り門を開けて手引きをした上、追っ手からは井戸に石を投げ込んで人が落ちたように見せかけて逃げ、蜂須賀親子を驚かせたという。

小六は日吉丸を試すため、自ら帯びる名刀青江下坂を3日のうちに盗み出すよう命じた。日吉丸は雨の降る晩、笠を軒先に残して人が近づく物音を装い、小六の気を引きつけている隙に刀を持ち去ったという。しばらく蜂須賀家の世話になった日吉丸だが、野武士として生きる道は選ばず、やがて今川義元に仕える軍学指南役だった松下嘉平次之綱の家に若党として召し抱えられ、名を木下藤吉郎と改めて、之綱に従った初めての戦働きで手柄を立てたという。

成立と背景

『太閤記』の一席。

豊臣秀吉の生涯を描いた『太閤記』のうち、日吉丸誕生から出世の足がかりを得るまでの冒頭部分にあたる。

伝記の形をとるが虚構も多く含まれ、演者が独自の解釈を加えて物語を膨らませているとされる。

儒学者小瀬甫庵(1564年〜1640年)による『太閤記』が原作として知られる。

上方講談の演目として江戸時代から読み継がれている。

落語に移すと、秀吉に似た猿を飼っていたずらをさせるという「太閤の猿」という別内容になるとされる。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談 知っておきたい日本の古典芸能瀧口雅仁 編著丸善出版2019年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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