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仙台の鬼夫婦せんだいのおにふうふ
別題: 井伊直人、烈女井伊お定
賭け事に身を持ち崩した伊達家家臣・井伊直人が、妻おさだとの剣術勝負に負けて8年の修行に旅立つ。勝負には妻の実家が抱える恩義が隠されていた。
一席物(一話で完結する話)。系統は武芸物(剣豪・武芸者の話。)
あらすじ
奥州仙台藩士の井伊直人は、剣術指南役だった父直江の子で、7歳で母を、14歳で父を亡くして孤児となった。父直江は慶長5年の松川の戦いで討ち死にしており、伊達政宗はその武勇を惜しんで直人に家督相続を許すが、幼いため成人まで無役とされる。20歳で元服して名を直人と改めたころから、直人は賭碁にのめり込むようになり、賭け金は次第にふくらんで、家宝や家財を売り払い、奉公人にも暇を出すまでに家を傾けてしまう。
友人の中村貞三郎の勧めで、直人は伊佐子三十郎の娘で評判の美女おさだを妻に迎える。だが結婚生活が落ち着くと、また賭け事に戻ってしまう。おさだは、自分に武芸で勝てたら家に迎え入れると持ちかけ、木剣を持つ直人に薙刀で立ち向かって難なく倒す。直人は江戸へ出て柳生飛騨守宗冬の道場で5年修行し、腕を上げたと言って戻るが、再びおさだに敗れてしまう。
直人はさらに3年、通算8年にわたって柳生の道場で修行を重ね、免許皆伝の腕前となって仙台へ戻る。おさだは自ら足をすすいで迎え入れ、これまでの無礼を詫びたうえで、実の父伊佐子三十郎を呼びにやらせる。三十郎が明かした事情はこうだ。かつて松川の戦いで自らの父三左衛門は直人の父直江に救われて生き延び、その恩に報いるよう息子に言い残していた。直人が賭碁で身を持ち崩した際、三十郎は父の武功を訴えて処分を軽くさせ、おさだを嫁がせて直人の目を覚まさせる策を立てたのだった。
寛永13年、三代将軍徳川家光が江戸城で催した寛永御前試合に直人が招かれ、立ち合いを終えると、家光は夫婦をともに御前に呼んで「仙台の鬼夫婦」と称え、褒め言葉を与えたという。数多くの武芸者を輩出した当時にあって、夫婦そろって武芸の誉れを残した例はこの2人のみだったと伝えられる。
成立と背景
「寛永御前試合」のうちの一話で、「井伊直人」または「烈女井伊お定」の別題を持つ。
井伊直人は江戸時代前期に実在した剣術家で、伊達政宗の家臣だった。慶長5年の陸奥松川の戦いで父を失い、若くして家を継いだ史実がもとになっている。
後日の御前試合で直人が鎖鎌の名人山田真龍軒と競い合う場面は史実に基づくものではなく、架空の試合として描かれている。同じ御前試合には由井正雪ほか剣術家も登場するが、もう1人については名前の表記が崩れており判読できない。
「寛永御前試合」には剣豪羽賀井一心斎や槍術の宝蔵院覚禅坊なども登場し、講談の中でも人気が高い。女性の講釈師や浪曲師が高座にかけることが多い。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『講談 知っておきたい日本の古典芸能』瀧口雅仁 編著、丸善出版、2019年
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

