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講談の演目

良弁杉りょうべんすぎ

僧侶物一席物親孝行修行上方伝説

別題: 良弁杉の由来

二歳で大鷲にさらわれた子が東大寺の別当となり、五十年ののちに母と再会する一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は僧侶物(僧の話。)

あらすじ

奈良東大寺の大仏建立を聖武天皇に勧めた良弁は、近江国の滋賀に生まれた。幼いころに父を亡くし、母が女手ひとつで育てていたが、二歳のときに大鷲にさらわれる。

飛鳥の岡寺の義淵僧正が、高い杉の木の上で鷲が子どもをくわえているのを見つけ、印を結んで真言を唱えると、鷲は子を残して飛び去った。木彫りの仏を守り袋に入れていたその子を寺へ連れ帰り、良弁と名づけると、知恵のある子に育つ。自分の身の上を尋ねた良弁に、義淵はいつか真の親に会えるよう心がけよと諭し、良弁は勉学に励む。

良弁は義淵の没後にその寺の住持となり、東大寺の初代別当にまで上る。一方、子を奪われた母は全国を捜し歩いていたが、五十年が過ぎようとするころ、大仏の建立に携わった良弁のことを耳にし、東大寺を訪ねる。老僧に、身の上を書き付けて杉の根元に置いておけば良弁の目に留まると教えられ、そのとおりにして木陰で待っていると、良弁が現れて再会を果たす。良弁は母に孝養を尽くし、母の没後は子安明神として祀った。良弁が見つかった杉は「良弁杉」と呼ばれるようになった。

成立と背景

良弁(689年〜773年)は実在した奈良時代の僧で、東大寺の創建に尽くした。原話は『日本霊異記』や『今昔物語集』に見られる。人名としては「ろうべん」と読むことが多く、浪曲などでも「ろうべんすぎ」とするが、講談では「りょうべん」と読む。東大寺二月堂の前には三代目にあたる良弁杉が植えられている。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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