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大久保彦左衛門おおくぼひこざえもん
徳川家康以来三代の将軍に仕え、将軍の前でも遠慮なく直言をやめなかった旗本大久保彦左衛門の、十六歳の初陣から死に至るまでの生涯を描く。
連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統は御記録物(大名家に伝わる記録や御家騒動。金襖物ともいう。)
あらすじ
三河国大久保村に生まれた平助は、幼くして負けん気が強く、十二の折には父に無断で戦場をめざして家を出た。道中、村人を悩ませていた天狗の正体を、実は他家の間者と見抜いて討ち取ったものの、老臣にたしなめられ、以後は武芸の稽古に励むようになる。十六歳のとき長篠の合戦に初陣を許され、鳶の巣山攻めで敵将を討ち取る手柄を立て、以後は彦左衛門と名を改めて家康の側近くに仕えた。
大坂の陣では、夜襲を受けて敗走する家康を背負って逃れるなど、幾多の合戦で常に主君の側を離れなかった。陣中では甲冑を脱いで涼んでいながら見回り役をだまして感心させたり、若い武士たちの手柄自慢を聞いて自身の軍歴と戦功の大きさで黙らせたりするなど、飾らない言動でも知られている。
三代将軍の跡継ぎをめぐっては、周囲が国松君を推すなか、彦左衛門は皮肉まじりの言葉で竹千代君の家督相続を後押しし、後の家光を将軍の座に就ける後押しとなった。家光の代になってからも、梅の木を大切にするあまり人命を軽んじる態度を涙ながらに諫めたほか、見付番の役目を大げさな陣立てと酒宴でこなしたり、たらいに乗って登城したりするなど、老いてなお遠慮のない言動を重ねた。
晩年、病に伏した彦左衛門を家光自ら見舞い、死なぬようにと声をかけると、日頃気丈な彦左衛門も涙を流して礼を述べたという。八十歳で世を去り、江戸芝の立行寺に葬られた。足の病に悩む者がここへ参詣すると治るという言い伝えが広まり、今も参詣が絶えないと伝えられる。
本の章立て
43章『講談名作文庫』(講談社)の本文に出てくる見出しを、本の並びのまま挙げています。この巻の章は、話の中の場面を指しています。筋はここには書いていません。印の付いたものは、文字の読み取りに確信が持てなかった題です。
- 天狗の油断にただひと突き
- 鳶の巣文珠山の初陣
- それ、彦左、逃げろ
- 陣中裸体御免のお許し
- 太助のまごころ彦左を動かす
- 彦左衛門、太助を救う
- 御内室がたくさんできたそうだな
- 春日局の抜け詣り
- 竹千代殿と同席はならぬぞ
- 自慢の初陣ばなし
- 若年と心得、あなどるかっ
- 三代将軍家光と決まる引っ越し料はたった百両か
- てんやわんや!浪人長屋募金
- 一席二百両せしめた軍談
- 上には上、彦左まいる
- 浪人長屋おすなおすなの大繁盛
- 飲めや唄えやのお見付番
- 彦左の生き胆を進ぜよう
- 意見料に銀の壺
- あーあ、きさま達はうらやましい
- 三代公手をついて、あやまる
- たけのこの死骸お引き渡しくだされたくそうろう
- 馬と話しながら涙を流す
- 暑中、綿入れを着て我慢会
- 寒中に第二回の我慢会
- 太助の心意気、一心鏡のごとし
- 腕の文身が承知しねえ
- お仲の胸に芽ばえた恋ごころ
- 彦左衛門の仲媒人で祝言
- 比丘尼の拾い物
- 矢でも鉄砲でも持って来い
- 五両でも土産に持っていけ
- ズドンと一発、ハッと立つ白煙
- 知恵伊豆もこれにはまいった
- あっぱれ、これは天下の絶品
- 珍宝「五色の蔦」のからくり
- あの老爺また某をだましたな
- 占売り、太助を泣かす
- 吉田御殿に呼び込まれた?
- 吉田通れば振袖が
- 木に縛られた半裸の艶姿
- 駕籠もろとも濠へドブーン
- 大手前は見渡す限りたらいの列
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『講談名作文庫(真田幸村・水戸黄門・大岡政談・柳生旅日記・赤穂義士銘々伝・太閤記・鼠小僧次郎吉・いれずみ奉行・弥次喜多道中記・寛永三馬術・清水次郎長・塚原卜伝・大久保彦左衛門・雷電為右衛門・左甚五郎・幡随院長兵衛・田宮坊太郎・国定忠治・一休和尚漫遊記・伊達騒動・天保六花撰・快傑自来也・由井正雪・荒木又右衛門)』講談社 編、講談社、1976年(電子版 2013〜2014年)
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

