天保水滸伝てんぽうすいこでん
侠客伝講談が原作国定忠治笹川繁蔵飯岡助五郎平手造酒下総天保義理と人情実在の人物が題材博打打ち花会続き物
下総の利根川流域で実際に起こった、笹川繁蔵一家と飯岡助五郎一家の抗争を描く侠客伝です。二代目玉川勝太郎の口演で知られます。
続き物(何席にも分かれて語られる長い話)。系統は侠客伝。
あらすじ
舞台は下総の利根川沿い。天領・旗本領・寺領が入り組んで行政の空白地帯になっていた土地で、新興の笹川繁蔵一家と、十手を預かる飯岡助五郎一家が対立します。浪曲では笹川を善、飯岡を悪とする図式で描かれます。笹川方の用心棒・平手造酒は、もと千葉周作道場の剣客で、酒で身を持ち崩して笹川に身を寄せた人物として登場します。
主な一席
4席笹川の花会
天保の飢饉で困窮した人々を助けて懐が細った笹川繁蔵が、先代・流鏑馬仁蔵の念願だった諏訪明神境内の野見宿禰の碑を建てることも兼ねて、花会(同業者を集めて金を出し合う博打の興行)を開きます。敵対する飯岡助五郎は姿を見せず、名代として洲の崎の政吉を送り、義理として親分子分で25両を出します。集まった親分衆が100両・50両を出す中で、政吉は自分の25両が張り出されれば恥をかくと思い詰め、上州の国定忠治を道連れに死ぬ覚悟を決めます。ところが貼り出された紙には、飯岡助五郎から100両、洲の崎の政吉から50両、飯岡若者中から50両と書かれていました。繁蔵が25両を受け取ったあと、自分で金額を書き足していたのです。それを知った政吉が人前で涙をこぼす場面で一席が終わります。
鹿島の棒祭り
禁酒を約束していた平手造酒が、飯岡方の用心棒との悶着から立ち回りになる場面です。
成立と背景
もとは講談で、江戸の講釈師・宝井琴凌や五代目伊東陵潮らによってまとめられたと言われます。題材は飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家の抗争で、『浪曲・怪談』は天保15年(1844年)8月の大利根の決闘をはじめとする実際の出来事を描いたものとしています。歌舞伎では河竹黙阿弥が『群清滝贔屓勢力』の題で書いています。
「水滸伝」の名は、利根川流域に集まった人々の姿が中国の『水滸伝』に似ていることから付いたとされます。『浪曲論』は、笹川・飯岡の出入りの死者数が『水滸伝』の豪傑と同じ108人だからという説を紹介したうえで、実際の参加人数はそこまで多くなかったと見ています(講談では飯岡方260人・笹川方96人)。
現在よく聴かれる形は、作家・演芸評論家の正岡容(明治37年〈1904年〉〜昭和33年〈1958年〉)の脚色によるもので、二代目玉川勝太郎(明治29年〈1896年〉〜昭和44年〈1969年〉)が名調子で聴かせました。
演じてきた人
二代目玉川勝太郎から三代目勝太郎、その弟子の玉川福太郎へと受け継がれ、現在は玉川派が持ち役としています。福太郎は没する1年前に「徹底天保水滸伝」というCD集を作り、「鹿島の棒祭り」「笹川の花会」「蛇園村の斬り込み」「平手の駆け付け」を収めました。『浪曲論』は、二代目・三代目の演出に比べて福太郎の平手造酒はより人間臭く演じられていると述べています。
ほかの芸能でも演じられます
この演目は講談でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。
- 講談「天保水滸伝」
下総を舞台に、博徒の親分・笹川繁蔵と飯岡助五郎の対立が深まり、用心棒平手造酒の死を経て抗争が続いていく、実在の事件に基づく連続物。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
- 文化デジタルライブラリー(この演目の公演記録)
国立劇場・国立演芸場などでの上演記録です。いつ・どこで・誰が演じたかが分かります。
浪曲は演者によって筋や節の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 浪曲・怪談 知っておきたい日本の古典芸能/瀧口雅仁 編著(丸善出版・2019年)
- 浪曲論[増補改訂版]/稲田和浩(彩流社・2022年)
上の本に書かれている事実をもとに、文章は書き起こしたものです。本の文章は転載していません。

