浪曲の演目

天保六花撰てんぽうろっかせん

世話物講談が原作暗闇の丑松河内山宗俊金子市之丞三千歳森田屋清蔵直侍吉原江戸天保悪党廓噺実在の人物が題材続き物

河内山宗俊・直侍ら天保期の6人の悪党を描く群像劇です。浪曲では「松江候玄関先」などの場面が演じられます。

続き物(何席にも分かれて語られる長い話)。系統は世話物

あらすじ

河内山宗俊、直侍、三千歳、金子市之丞、暗闇の丑松、森田屋清蔵という6人の悪党を描く群像劇です。宗俊は江戸城の茶坊主(お数寄屋坊主)で、微禄の御家人ながら大名や旗本と直接話せる立場を使って強請りをはたらきます。浪曲での直侍は、歌舞伎の二枚目という印象とは異なり、情けない小悪党として描かれます。

続きは講談で語られる部分として、『浪曲論』は次のように記しています。直侍は馴染みの花魁・三千歳を足抜けさせ、河内山が森田屋清蔵に金を出させて身請けさせますが、直侍は約束を守れずに三千歳は吉原へ戻され、直侍は強盗に身を落として捕らえられます。三千歳はのちに金子市之丞と恋仲になります。森田屋清蔵は実は海賊の親分で、越後村上の内藤家の姫君を縁談で騙して持参金の千両を巻き上げて逃亡します。宗俊・直侍・市之丞は捕らえられ、森田屋だけが逃げおおせます。

『浪曲論』の著者は、浪曲での口演は「松江候玄関先」「河内山と直侍の出会い」など断片的にしか聴いたことがないと記しています。物語の後半は講談で語られる筋として紹介されているものです。

主な一席

2

このほか、題名だけが挙げられている一席: 「河内山と直侍の出会い」

成立と背景

原作は二代目松林伯圓作の講談です。伯圓は落語の三遊亭圓朝と並び称された明治の講釈師で、幕末の女侠客お徳を調べるうちに、お徳が河内山宗春の娘だとわかって河内山を調べ、この物語をまとめたとされます。

河内山宗俊は実在の人物で、正しくは宗春といい、文政6年(1823年)に水戸藩を強請って毒殺されたと言われます。講談は天保6年の出来事として扱っており、史実とずれがあります。

宗俊の弟分にあたる暗闇の丑松の物語は、長谷川伸の芝居で知られますが講談にも原話があります。浪曲では大西信行の台本、春野百合子の口演で昭和48年(1973年)に芸術祭賞を受賞しました。二葉百合子は歌謡浪曲でも演じています(作詞・横井弘、作曲・市川昭介)。

演じてきた人

初代木村友衛が得意とし、木村派の持ち役として知られました。木村若衛が「松江候玄関先」を、玉川福太郎が「河内山と直侍の出会い」を演じ、福太郎から玉川太福が受け継いでいます。木村派が途絶えたのち、初代木村松太郎の弟子・木村勝千代が復活させました。

ほかの芸能でも演じられます

この演目は講談でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。

この演目を調べる・聴く

浪曲は演者によって筋や節の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 浪曲論[増補改訂版]稲田和浩彩流社2022年

上の本に書かれている事実をもとに、文章は書き起こしたものです。本の文章は転載していません。

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