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講談の演目

曽我物語そがものがたり

仇討物連続物敵討ち忠義剣術実説

父を討たれた曽我兄弟が十八年の苦労を経て、富士の巻狩りの陣屋で工藤祐経を討つまでを読む連続物。

連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統は仇討物(親や主君の仇を討つまでを読む話。赤穂義士伝は別に立てている。)

あらすじ

承安2年(1172年)、伊豆を治める豪族の一人・河津三郎祐泰は、同じ豪族の工藤祐経と領分を争っていた。赤沢山での狩りの最中、祐泰は矢を受けて命を落とす。ところが工藤のほうは源頼朝の寵愛を受けており、殺めた証拠もないことから咎めを受けずにすむ。

祐泰には当時五歳の一万丸、のちの十郎祐成と、三歳の箱王丸、のちの五郎時致という息子がいた。妻の満江は手だてがなく、曽我太郎祐信と再婚して、息子たちが成長したのちの仇討ちを願う。

それから十八年。建久4年(1193年)5月、源頼朝が富士の巻狩りを催し、工藤祐経も加わると知った曽我兄弟は、警戒の厳しい陣屋へ忍び込む。畠山重忠の助けなども得て、ついに父の仇を討つ。

成立と背景

赤穂義士伝、伊賀越の仇討と並ぶ日本三大仇討の一つ。連続物として読まれる。全十二話とする宝井琴凌の副題は、「老狐の祟り」「伊東祐親の台頭」「伊東工藤領地裁き」「奥野の狩倉」「由比ヶ浜敷皮の難」「箱根山対面」「箱王箱根下山」「草摺引」「小袖乞い」「十郎紋調べ」「紋尽くし」「仇討ち本懐」である。

畠山重忠の助けを得て曽我兄弟が仇を討つ場面は、「曽我の紋尽くし」「夜討曽我」などの題で単独に読まれることも多い。

ほかの芸能でも演じられます

この演目は浪曲でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。

発端の年を、『講談事典』は承安2年(1172年)、『浪曲事典』が収める初代春野百合子の口演は安元2年(1176年)としている。(講談事典・浪曲事典)

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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