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講談の演目

青の洞門あおのどうもん

文芸講談一席物敵討ち修行情け九州

別題: 恩讐の彼方に

主人を殺して逃げた男が僧となり、難所の岩山を掘り抜く。そこへ討たれた主人の遺児が仇を求めて現れる一席。

一席物(一話で完結する話)。系統は文芸講談(小説をもとにした講談。明治以降に加わった。)

あらすじ

旗本・中川三郎兵衛の愛妾おゆみは、愛人の市九郎と示し合わせて三郎兵衛を斬り殺し、江戸から逃げる。木曾の山中で市九郎が病に倒れると、おゆみは有り金を持って一人で逃げてしまう。

大垣で寺の住職に世話を受けた市九郎は、これまでの悪事を告白して悔い、仏門に入って了海と名を改める。諸国を歩くうち豊前国耶馬渓の羅漢寺を訪ねると、寺までの道は断崖絶壁の難所で、命を落とす者が絶えない。了海は岩山に洞門を通せば人の役に立つと考え、岩を掘り始める。

十八年が過ぎたある日、了海の前に一人の侍が現れる。中川三郎兵衛の遺児・実之助で、父の仇を捜していた。村の人たちが間に入り、洞門が貫通するまで仇討ちを待つことになる。実之助も了海や村人とともに岩を掘るようになり、やがて三郎兵衛の命日に洞門が貫通する。実之助は仇討ちの心を捨て、了海の弟子となって仏の道に入る。

成立と背景

菊池寛が大正8年(1919年)に発表した小説『恩讐の彼方に』をもとにした作品。発表当時から大谷内越山や五代目神田伯山が演じ、三代目宝井琴凌の型が伝わっている。

大分県中津市にある実際の「青の洞門」は、禅海和尚が享保20年(1735年)からのみと槌だけで掘り続け、明和元年(1764年)に完成したとされる。

ほかの芸能でも演じられます

この演目は浪曲でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。

岩山を掘る僧の名を、菊池寛の小説と講談は「了海」とする。『浪曲事典』が収める酒井雲の一節では、実在の僧の名である「禅海」と呼んでいる。(講談事典・浪曲事典)

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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