浪曲の演目

杉野兵曹長の妻すぎのへいそうちょうのつま

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日露戦争の旅順港閉塞作戦で夫を亡くした妻が、三人の息子を育てながら裁縫教師になる物語です。二代目天中軒雲月の代表作です。

一席物(一席で完結する話)。系統は軍国浪曲

あらすじ

杉野りゅう子の夫・杉野孫七兵曹長は、日露戦争の旅順港閉塞作戦で船底に爆薬を仕掛けて脱出する際に行方不明になりました。探しに行った広瀬少佐(のち中佐)も戦死します。

残されたりゅう子は、伊勢の津の裏長屋で仕立物の賃仕事をしながら三人の息子を育てています。そこへ津高等女学校の校長が訪ね、裁縫教師として高給で雇いたいと申し出ますが、軍人の妻だからと特別扱いは受けられないとして断ります。ただしこの来訪がきっかけとなり、りゅう子は東京の東洋ミシン学校に入って裁縫教師の資格を取ることを決意し、納豆売りで学資を稼ぎながら学びます。くじけそうになると、万世橋にあった広瀬中佐と夫の銅像を訪ねました。

りゅう子は資格を取って女学校の教師になり、三人の息子を育て上げて、大正11年(1922年)に世を去ります。

主な一席

1

このほか、題名だけが挙げられている一席: 「旅順港閉塞作戦」

成立と背景

作者は本多哲。実在の人物と史実を題材にした新作浪曲です。演者はりゅう子・校長・広瀬中佐・杉野孫七・三人の息子の計7人を声で演じ分け、二代目天中軒雲月の「七つの声」として知られました。

雲月はもともと初代雲月の義士伝なども口演していましたが、この演目が広まって以降は軍国浪曲・愛国浪曲の新作を多く手掛けるようになりました。物語の題材になった万世橋の広瀬中佐・杉野孫七の銅像は、戦後に撤去されています。

『浪曲論』は、執筆時点でこの演目を持ちネタにする浪曲師はいないと記しています。音源はテイチクからCD化されています。

演じてきた人

二代目天中軒雲月(伊丹秀子)。昭和22年(1947年)に名跡を返上して伊丹秀子を名乗り、昭和31年(1956年)に引退しました。

この演目を調べる・聴く

浪曲は演者によって筋や節の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 浪曲論[増補改訂版]稲田和浩彩流社2022年

上の本に書かれている事実をもとに、文章は書き起こしたものです。本の文章は転載していません。

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