浪曲の演目

瞼の母まぶたのはは

文芸浪曲戯曲が原作江戸義理と人情捨て子と実の親親子

別題: 番場の忠太郎

幼いころに生き別れた母を捜して江戸へ来た渡世人・番場の忠太郎が、名乗りを拒まれて去っていきます。長谷川伸が昭和5年(1930年)に発表した股旅物です。

一席物(一席で完結する話)。系統は文芸浪曲

あらすじ

嘉永2年(1849年)の秋。幼いころに母と生き別れた渡世人の番場の忠太郎が江戸へ出て、母がいるという噂を聞いた柳橋の料亭・水熊を訪ねます。

忠太郎が女将のおはまに、自分くらいの年の子を持った覚えはないかと尋ねると、おはまは、昔、江州坂田郡の番場の宿の旅籠に嫁いで忠太郎という息子を持ったが、九歳のときに流行り病で亡くしたと言って突き放します。自分にはお登勢という娘がおり、身代はすべてその娘に譲るつもりだ、親に会いに来るなら堅気になって来ればよい、と告げられ、忠太郎は店を出ようとします。

そこへ帰ってきたお登勢が、あれは話に聞く兄ではないかと母に詰め寄りますが、母は泣くばかり。戸田の河原まで来た忠太郎は、あとをつけてきた金五郎という男に襲われて返り討ちにします。母とお登勢が自分を呼ぶ声が聞こえてきますが、忠太郎は目を閉じ、やさしかったころの母の姿を思い浮かべながら、三度笠をかぶって中山道を進んでいきます。

あらすじは『講談事典』の記述にもとづきます(講談での読み方)。浪曲としての口演の運びは演者によって異なります。

成立と背景

長谷川伸が昭和5年(1930年)に発表した股旅物の代表作です。講談でも読まれ、神田翠月が得意にしました。

演じてきた人

『浪曲事典』の「浪曲名作抄」には、三門博と伊丹秀子の二人の「瞼の母」が並べて収められています。同じ題材を演者によってどう読み分けるかを見るための並べ方だと、同書は述べています。

ほかの芸能でも演じられます

この演目は講談でも演じられています。同じ題材でも、 芸能によって筋の運びや読みどころが変わります。

長谷川伸が昭和5年(1930年)に発表した股旅物。『浪曲事典』の「浪曲名作抄」は、三門博と伊丹秀子の二人の「瞼の母」を並べて収めており、同じ題材を演者がどう読み分けるかを見るための並べ方だとしている。(講談事典・浪曲事典)

この演目を調べる・聴く

浪曲は演者によって筋や節の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年
  2. 浪曲事典安斎竹夫 編・著日本情報センター1975年

上の本に書かれている事実をもとに、文章は書き起こしたものです。本の文章は転載していません。

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