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講談の演目

玉菊燈籠たまぎくどうろう

お裁き物連続物身分違い義理人情職人江戸上方

別題: 五福屋政談、本所小町

年季明けに大和まで訪ねた花魁玉菊が、弥吉は死んだと聞かされて自ら命を絶つ一席。

連続物(何席にもわたって続く長い話)。系統はお裁き物(奉行の裁きを読む。政談ともいう。)

あらすじ

江戸で大工の修業をしていた弥吉は、十年働きづめで二十五歳のとき若棟梁となり、大和国郡山へ里帰りすることにする。吉原へ行ったことがなかったので、勝手も分からぬまま仲万字楼へ登楼する。相手をしたのは当時全盛の玉菊という花魁で、互いの身の上を語るうちに情を交わす。その日の勘定は玉菊が肩代わりし、年季が明けたら夫婦にしてほしいと告げる。

弥吉は喜んで故郷で働く。十年後のある日、弥吉の母の前に、むさくるしい身なりの女が現れる。道中の危険を考えて身をやつした玉菊だったが、事情を知らない母は、弥吉は先月亡くなったと告げてしまう。玉菊が墓を訪ねたいというので、母はもともと無い墓の代わりに、あり合わせの墓を教えて立ち去る。

仕事から戻った弥吉が話を聞いて寺へ飛んでいくと、そこには元の姿に戻り、命を絶った玉菊がいた。弥吉は玉菊の遺骨を江戸の菩提寺に納めるため仲万字楼を訪ね、立派な葬式をあげる。初盆に玉菊追善の燈籠を掲げたところ、吉原では毎年盆に玉菊燈籠を掲げる店が増え、明治の末ごろまでその風習が続いた。

成立と背景

玉菊が吉原へ身を売るまでは「五福屋政談」の題で読む。それに続くこの「玉菊燈籠」を、『大岡政談』のうちに数えることもある。明治期に活躍した邑井一の作とされ、一龍斎貞心が復活させた。

この演目を調べる・聴く

講談は演者によって筋や読み方の細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 講談事典瀧口雅仁丸善出版2023年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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