たがやたがや
両国の川開きで混み合う橋の上、たが屋の竹が武士の笠をはね上げてしまいます。
あらすじ
旧暦五月二十八日、大川の川開きの日。両国橋の上は花火見物の人出で身動きがとれません。本所方から、供侍二人と槍持ちを従えた身分の高い武士が馬に乗って渡ろうとし、反対の側からは、桶のたがを直して回る職人のたが屋が渡ろうとします。二人は橋の中央で行き合います。
たが屋の道具箱の中で丸めてあった青竹のたがが伸び、馬上の武士の塗り笠をはね上げてしまいます。武士の頭には笠の台だけが残ります。武士は無礼者、屋敷へ同道せよと怒り、たが屋は家の事情を訴えて許しを乞いますが、聞き入れられません。
周りの見物人がたが屋に味方して武士をなじります。許されないと悟ったたが屋は開き直り、二本差しが怖くて田楽が食えるかなどと啖呵を切ります。主君に叱咤された供侍二人が刀を抜きますが、泰平で手入れを怠った刀は錆びついています。たが屋は二人を倒します。
興奮した群衆が馬上の武士に石や履物を投げ始めます。武士は馬を下りて槍を構えますが、たが屋に槍を奪われます。武士が刀に持ち替えようとした一瞬の隙をついて、たが屋が斬り込み、武士の首を切り落とします。
首が高く飛び上がったのを見た見物人たちが、花火を褒める「たまやー」の掛け声になぞらえて「あがった、あがった、たがやァ」と声をそろえます。
成立と背景
枕では、川開きで花火が上がると「たあまあ屋ー」の掛け声がかかったこと、花火は川に落ちるまで長く褒め続けるのが本当の褒め方とされたことが語られます。花火屋には玉屋と鍵屋の二軒がありましたが、玉屋は天保14年5月、将軍家慶の日光参詣の際の失火で取り潰しになり、以後は鍵屋だけが残りました。それでも端唄や狂歌では玉屋ばかりが歌われます。
「たが屋」という稼業名は、辞書に載っていません。もとの名は桶屋で、修繕のために町を歩く桶屋をたが屋と呼んだという説もありますが、噺のための呼び名とみられます。
この噺を町人の武士への抵抗の結晶と評することがあります。ただし多くの噺では武士と町人が調和して描かれており、封建時代への反抗心を読み取るのは階級意識が目覚めた時代の見方で、噺自体は興味本位に作られたものだとされます。
演じてきた人
三代目三遊亭金馬・三代目桂三木助・三代目古今亭志ん朝が演じました。
本によって違うところ
落語は演者や本によって細部が変わります。読んだ本の記述が食い違ったところは、どちらかに決めずに並べています。
- 笠が飛ぶきっかけ。『落語名作200席 下』は混雑にもまれてたがを縛っていた糸が切れたとし、『古典落語(上)』は武士がたが屋の胸を突いて道具箱を落とさせたためとしています。
- たが屋が許しを乞うときの事情。『落語名作200席 下』は病気の両親が待っているとし、『古典落語(上)』は目の見えない母が路頭に迷うとしています。
- 一人目の供侍への対処。『落語名作200席 下』はたが屋が相手の右腕にかぶりつき、落とした刀を拾って斬るとし、『古典落語(上)』は首をひっこめてかわし、利き腕を手刀で打って刀を落とさせるとしています。
- 槍の奪い方。『落語名作200席 下』は槍の首を切り落としたとし、『古典落語(上)』は千段巻きのところをつかんで奪ったとしています。
この演目を調べる・聴く
- 国立国会図書館サーチ
この演目の本・速記本・レコードの目録。誰が演じ、いつ出たものかが分かります。
- 歴史的音源(れきおん)
戦前を中心とした録音。同じ演目を誰が吹き込んだかが並びます。
- 歴史的音源(自宅で聴ける分だけ)
上の検索を、インターネット公開されている音源だけに絞ったものです。
落語は演者によって筋やサゲの細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。
出典
- 『落語名作200席 下(角川ソフィア文庫)』京須偕充、KADOKAWA、2014年
- 『古典落語(上)』興津要 編、講談社、1972年
上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

