落語の演目

宝船の由来たからぶねのゆらい

人情噺冬の噺

別題: 宝船

貧しい孝行者の漁師が福を授かり、宝船が売られるようになった由来を語る話。

あらすじ

明石の浦に与市という男がいました。もとは裕福な家でしたが、火事や父親の長患いが重なってすっかり貧しくなり、それでも目の不自由な母親を漁師仕事で養い続けています。

ある年の大晦日、不漁続きで餅を買う金もなくなった与市は、沖止めの決まりを破ってこっそり小舟を出しました。網を下ろしても雑魚一尾かからず、ようやく手ごたえがあったと思って引き上げると、水死人でした。

それでも情け深い与市は、亡骸を檀那寺の光明寺までかつぎ、なけなしの四文を差し出して弔いを頼みます。和尚はただで弔ってやる代わりに、いつか与市に福が舞い込んだ折には、寺の普請に力を貸してほしいと頼みました。

安心して再び沖へ出ると、今度は網いっぱいに魚がかかりました。夢中で獲るうちに夜が明け、村へ戻れば沖止め破りが知れてしまいます。行き場を失っていたところ、大きな船に呼びかけられました。

親船の連中は魚をすべて買い取り、酒までふるまったあと、小舟を貸してほしいと言って出ていったきり戻りませんでした。役人に届け出て調べてもらうと、正体は外国の海賊船とわかります。

与市の船を借りたまま行方が知れないため、船が戻るまでその権利は与市にあるとされ、与市は大金持ちになりました。田畑や屋敷を買い戻し、光明寺も約束通り建て直したところから、のちの人々が縁起をかついで宝船をこしらえ、四文で売るようになったといいます。

成立と背景

決まったサゲやくすぐりが少なく、人情噺に近い噺です。三遊亭円生が、おもちゃ屋を営んでいた金原亭馬生から教わった噺として知られています。

円生の演出では、舞台が和歌の浦とされ、与市はのちの角倉了以という人物だったことになっています。

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落語は演者によって筋やサゲの細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 増補 落語事典東大落語会 編青蛙房1979年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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