落語の演目

馬鹿竹ばかたけ

人情噺女房大工

別題: 谷中の塔

腕はあるのに酒におぼれた大工と、去った女房のその後を描く人情噺。

あらすじ

大工の竹次郎は腕こそ確かなものの、世間からはなかなか認めてもらえませんでした。そのやり場のない不満から酒が手放せなくなり、いつしか人々から馬鹿竹と呼ばれるようになっていました。

女房のおそのは、竹次郎と夫婦になって十一年になりますが、とうとう愛想を尽かしてしまいます。年の若いうちにもっと頼りになる亭主を持ちたいと、自分から望んで離縁状を取り、家を出ていきました。

女房に去られてからの竹次郎はいっそう酒におぼれるようになり、さして大きくもなかった身代もたちまち傾いてしまい、いまでは三河町の馬五郎のもとに、二階を借りて厄介になる身の上でした。

竹次郎の幼なじみである棟梁の政五郎は、谷中天王寺の五重塔の造営を請け負ったものの絵図面を描ける者がおらず、他人にも頼めないまま、気心の知れた竹次郎に丁重に依頼します。

政五郎のていねいな態度に心を動かされた竹次郎はこの仕事を引き受け、政五郎の家に部屋を借りて、三十日のあいだ寝食を忘れるほど絵図面づくりに打ち込みました。

これをきっかけに竹次郎は世に出て、のちには江戸城本丸が焼けた際の普請まで請け負うほどの棟梁になり、二十人ほどの弟子を抱える身分になりました。

十数年の月日が流れたある日、みすぼらしい身なりになったおそのが竹次郎の前にあらわれ、よりを戻してほしいと頼み込みます。しかし竹次郎は男の意地からこれをはねつけました。

生きる望みを失ったおそのが死を覚悟して去っていくのを見て、竹次郎は昔の情にほだされ、家の者に二百両を持たせてあとを追わせました。「おかみさん、こうやって金を持たせてよこしたからには、棟梁にも何か考えがあってのことでしょう。お体を大事になさいまし」

成立と背景

人情噺の一つです。明治後期に大阪へ移り住み、東京落語を大阪に紹介した演者、翁家さん馬の速記が残っています。

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落語は演者によって筋やサゲの細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 増補 落語事典東大落語会 編青蛙房1979年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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