落語の演目

三国誌さんごくし

地噺親子名前

関羽が張飛の強さを誇張して伝え、曹操が真に受ける三国志の一節。

あらすじ

三国志の中でも知られた一節です。関羽が魏の曹操のもとに客分として滞在していたとき、敵の豪傑二人の首をただ一太刀で討ち取りました。

驚く曹操に対し、関羽は「いや、私よりも義弟の張飛のほうが強い。燕人張飛は百万の敵に向かっても、大将の首を取るのに三服の間もかからない」とうそをつきます。

真に受けた曹操は、燕人張飛の名を布に書かせ、部下の軍服に縫いつけさせました。おかげで魏の軍勢には張飛の恐ろしさがすっかり染みついてしまいます。

長坂橋の戦いで魏の大軍に追われた漢の軍勢が逃げてきたとき、張飛は橋の上に立ち、「ヤアヤア敵の軍勢よく聞け、劉備玄徳の義弟たる燕人張飛これにあり」と大音声で名乗りを上げました。これを聞いた魏の軍勢は肝をつぶして逃げ出し、張飛は橋を落として引き上げます。

これを聞いた玄徳は、橋を落としたのは失敗だったとたしなめます。手薄なことを敵に見抜かれてしまうから、川止めが解ける前に、おまえによく似た者に代わりを名乗らせよと命じました。

そこで張飛は、自分に似た部下の張益に「燕人張飛これにあり」と名乗らせます。そのたびに敵が逃げていくのを見て、張益はうれしそうに手をたたいていました。

その様子を見た曹操は「あれはにせ物だ」と見抜きます。「どうしてわかります」と問われた曹操は答えました。「さきほどから手をたたいているのは、どうせ張飛の代わり、銚子(ちょうし)のようなものだろう」

成立と背景

こまかい笑いどころの多い、語り中心の一席です。先代の三升家小勝が得意にしていた演目です。

この演目を調べる・聴く

落語は演者によって筋やサゲの細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 増補 落語事典東大落語会 編青蛙房1979年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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