落語の演目

名人昆寛めいじんこんかん

滑稽噺上方落語が原話名人の細工八五郎

気の向かない彫刻の名人が、扱いに腹を立てて寺で暴れる話。

あらすじ

中橋に住む昆寛という人は彫刻の名人でしたが、気難しい変わり者で、気が向かないといつまでも仕事をしませんでした。ある日、谷中の東陽寺から迎えが来ます。

寺では、焼けた門を建て直すのでその上に上げる魔除けの彫り物を頼まれました。下絵は狩野後光が描いた竹に虎で、昆寛はその絵を気に入って引き受けます。

ところが、寺で顔を合わせた狩野後光の物腰がいかにも横柄だったため、昆寛はむっとして帰りました。腹立ちまぎれに彫ったので、虎はうまく仕上がったものの、竹を彫るはずが松にしてしまいます。

二十日後に東陽寺へ届けると、松では困ると言われました。昆寛は、暦に「きのえとら」とあるから木に虎を彫ってもよいはずだとごまかします。

和尚は「そうか、それではよい。ところでこれが作料だ」と二百文を渡しました。たった二百文とは何ごとかと昆寛がいきり立つと、和尚は「おまえが二十日で彫ったから二百だ。暦に二百二十日とあるだろう」とやり返します。

しゃくにさわった昆寛は本堂に飛び込み、あみだ様を引っくり返してしまいました。和尚が「これこれ昆寛、なんでそんなにあばれる」と驚くと、昆寛は答えます。「これが二百二十日の大荒れだ」

成立と背景

初代の円左が演じた際には、下絵は狩野後光ではなく英一蝶が描いた竹に虎だったと伝えられています。戦後には柳家金語楼がラジオでこの噺を演じました。

後半の、暦の語呂合わせで作料をめぐってやり取りする部分は、上方の「暦湯」という噺とほぼ同じ筋立てになっています。

この演目を調べる・聴く

落語は演者によって筋やサゲの細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 増補 落語事典東大落語会 編青蛙房1979年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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