落語の演目

阿弥陀ヶ池あみだがいけ

滑稽噺上方落語が原話女房

新聞を読めと諭された男が、聞きかじりの作り話を近所で得意げに披露して騒ぎになる話。

あらすじ

物覚えの悪い男が隠居から、新聞ぐらい読まないから人に馬鹿にされるのだと説教されます。和光寺という尼寺で起きた騒動を知っているかと聞かれ、男は首を横に振りました。

隠居はまじめな顔で語り始めます。三日前のこと、阿弥陀ヶ池と呼ばれるその尼寺に泥棒が入り、居並ぶ尼たちの中でも際立って美しいひとりにピストルを突きつけたというのです。

尼は動じることなく、夫の山本大尉は戦で胸を撃たれて亡くなった、自分も同じところを撃たれてかまわないと落ち着いて答えました。これを聞いた泥棒はひれ伏し、自分は山本大尉に仕えていた従卒の岸本だと名乗って無礼を詫びます。

隠居はさらに続けて、お前がここへ来たのも何かの因縁だろう、誰かに行けと言われたのかと尼が尋ねると、泥棒はこう答えたと締めくくりました。「阿弥陀ヶ池と申しました」

隠居はもう一つ、米屋に押し入った賊が、生かじりの武術しか知らない主人を斬り殺し、その首を糠の箱に隠したという話も聞いたかと尋ねます。男が知らないと答えると、それはそうだろう糠に首、つまり釘だとまた一つ担がれました。

すっかり面白がった男は、さっそく米屋の一件を受け売りしようとしますが、うまく話せません。知り合いの米屋の名を出して語ったところ、相手が本気にして大騒ぎになり、仕方なく作り話だと白状する羽目になりました。

呆れた相手から、まさか一人で思いついた話ではあるまい、いったい誰に入れ知恵されたのだろうと厳しく問い詰められ、男はやはりこう答えるのでした。「阿弥陀ヶ池と申しました」

成立と背景

上方の落語で、正しい演目名は「阿弥陀池」といいます。日露戦争の直後に桂文屋が作ったとされ、大阪堀江にある和光寺の境内の池が舞台のもとになっており、信濃の善光寺の如来が現れた地と伝えられています。

東京へ移されると「新聞記事」という題で演じられるようになり、昔々亭桃太郎や柳亭痴楽といった噺家たちが、それぞれの芸風で長らくこの噺を高座にかけてきました、と伝えられています。

この演目を調べる・聴く

落語は演者によって筋やサゲの細部が変わります。ここに書いたあらすじは一つの形で、 実際の高座とは違うことがあります。

出典

  1. 増補 落語事典東大落語会 編青蛙房1979年

上の本で確認した事実をもとに、文章は寄席ミルが書き起こしたものです。本文の引き写しはしていません。

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