コラム・特集2026年8月14日

禁演落語とは|戦争で高座から消えた53の噺と浅草「はなし塚」

浅草寺の裏手、浅草演芸ホールから歩いて数分のところに、 **「はなし塚」**と刻まれた石碑が建っています。

ここには、高座にかけないと決められた落語の台本が納められました。 1941年(昭和16年)のことです。

戦時下に53の噺が高座から外されました

1941年(昭和16年)のことです。浅草の本法寺に「はなし塚」が建てられ、台本が納められました。戦後に解かれ、今はいずれも演じられています。

禁演落語とは

禁演落語は、戦時下に落語界が自分たちで 「この噺は演じない」と決めた53の演目のことです。

対象になったのは、遊郭・酒・不義理などを扱う噺でした。 戦争へ向かうなかで娯楽全体に自粛が求められ、 落語界はその求めに、自分たちで演目を選り分けるという形で応じました。

演目を甲・乙・丙・丁の四つに分け、 そのうち丁に分類された53種を高座から外す、という決め方だったと伝えられています。

はなし塚

1941年10月30日、浅草の本法寺で、はなし塚の除幕式と法要が行われました。 建てたのは、当時の落語・講談の団体と、寄席の席亭たちです。

塚には、禁演となった演目の台本が納められました。

供養の対象は、演じられなくなった噺そのものと、 それを伝えてきた先人たちの両方だったとされています。 噺を「葬る」という形をとったところに、この出来事の性格がよく表れています。

石碑を囲む玉垣には、落語家や演芸の関係者の名前が朱で刻まれています。

戦後、封印は解かれた

戦後、この取り決めは解かれました。 今では53種のすべてが、ふつうに高座にかかっています。

現在の寄席で「明烏」「五人廻し」「木乃伊取り」「居残り佐平次」といった噺を 聴くことができるのは、封印が解かれたあとの姿です。

演目一覧で「禁演」という分類を見かけることがありますが、 これはそういう歴史があった噺だという印であって、 今も演じてはいけないという意味ではありません。

浅草を歩くときに

はなし塚は、浅草の寄席通いのついでに立ち寄れる場所にあります。

  • 浅草演芸ホールで落語を聴く
  • 木馬亭で浪曲を聴く(日本で唯一の浪曲の定席です)
  • そのあとに本法寺のはなし塚へ寄る

という半日の組み立てができます。 演芸を聴いてから石碑を見ると、印象がずいぶん変わると思います。

お参りするときは

お寺の境内にありますので、参拝の作法にならってお参りしてください。

よくある質問

53種すべての演目名は決まっているのですか?
一覧として伝わっています。ただし資料によって表記や数え方に細かい違いがあり、 別題で数えると増減することがあります。
禁演落語は「放送できない噺」とは違うのですか?
別のものです。禁演落語は戦時下の自粛で、すでに解かれています。 放送で扱いに配慮される表現の話とは、時代も理由も違います。
誰かに強制されたのですか?
娯楽全体に自粛が求められた時代の出来事で、 落語界が自分たちで演目を選り分けるという形をとりました。 そのため「自粛」と説明されることが多くあります。

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